オーガンジーのポンチョにショルダーラインからサイドにミンクをトリミングして、月夜に浮遊するジェリーフィッシュです。
ホワイトミンクを逆毛で使い、サイドに腕を出せるスリット
BCに着脱用のスリット
夢は蝶
月夜の海をさまようて
金の光に溶けて死ぬ (亜蘭)
(自己陶酔の世界です)
まもなく母の日ですね
子供の詩ですが、感動して、長くノートにしたためていたのでご紹介させてください。
ははのひ
わたしのおかあさんは
4さいのとき しにました
ははのひに、きょうしつで みんなが プレゼントをつくりました。
せいせいが わたしに
やさしい おとうさんに かいたら
だいすきな おばあちゃんに かいたら
とか いってくれました
でも わたしは
かかん、と いいました
こくごのプリントのふうせんにいろをぬりました
ふうせんが てんごくに とどいたらいいな と
おもいました
Mother’s Day
My mother died when I was four years old,
In my class everyone made a gift for Mother’s Day
My teacher said to me
Would you write to your kind father?
Would you write to your dear grandmam ?
But I said No I don’t
On the balloons in the Japanese language textbook
I painted them in color
I wish these balloons would fly to arrive at my mother of heaven
この詩は20年ほど前、東京新聞に載ったものです。どなたかお名前は記録してありません。私は英文に訳すことが好きで、感動した日本文をいつも集めています。それを時間のできた時に英訳するのですが、最近いいツールを見つけました。インターネットの翻訳ソフトです。「グーグル翻訳」や「ウェブリオ」が便利です。ウェブリオの方がましです。ただ他のたくさんの言語にはグーグルが対応しています。
http://translate.google.co.jp/
http://translate.weblio.jp/
まともな英文に変換はされませんが、結構添削気分でコンストラクション(構文)と単語、ユーセッジ(慣用法)を考え直せば一応英文にはなると思います。
私の恩師(古家鴻三 ふるやひろかず)は研究社に勤めた後、晩年予備校で英語を教えていた。そこで私は語源と英作文(英文和訳)の指導を受けた。英作文の授業はほんとに楽しかった。大学に行っても、社会人になっても彼の授業を聞きに行き、結局13年間ほど予備校に通ったことになった。彼のテキストはあらゆる種類の日本文(社説、コラム、小説など散文から、日常のテレビのコメントから、和歌、俳句、詩などの韻文)が課題だった。そのなかから、英文の構文を利用して英訳したわけだが、いつのまにか彼の選択した日本文は真実を語ったものであることが分かった。これを通して私は偽の文面と真実を語った文面の区別がつくようになったことが最大の収穫だったと思う。偽の文面は訳す気がおこらないのに気付いたから。語感がよくなったのだと思います。
彼は決して最初に模範答案を書かなかった。まず学生に板書することを勧め、「一語でもいい。半分でもいいから自分で書きなさい。人の書いたものは英文解釈になってしまう」というものでした。「英作文は自己表現だ」「外国語を勉強することはかえって母国語を勉強することになる」と言っていた。学生の板書した英文の添削はとても上手に書き手の意向を生かし、見落としていた真意を気付かせてくれた。最後に彼が参考文を書いてくれた。その間、人生のこと、海外旅行のこと、本のことをよく紹介してくれた。「英作文の指導は、冠詞10年、前置詞10年、その他10年」と言っていた。
たくさんの英語の辞書を紹介してもらった。私は大学時代に21の辞書を使っていた。英作文には研究社の「英語活用大辞典」がとても便利でした。「大英和」と「大和英」の3点は必須です。小辞典では岩波の英和小辞典(田中菊雄)がいい辞書でした。日本語訳がオックスフォードのCODに倣って、古い語義の順でしたし、日本語が漢語を含めて豊でした。小学館で初めて出したユニヴァーサル(稲村松雄)の文例はワイルドのユニヴァーサルからそのまま流用していてびっくりしました。これでは全く辞書の翻訳ですね。ホンビーの英英は、動詞を25パタンに分けてその動詞が、目的節を取るのか、不定詞なのか、動名詞なのか、動詞とのコロケイション(連語法)を考えるのに便利でした。前置詞と名詞の関係の文例も多く、前置詞に迷った時も、活用辞典としてり利用できました。
日本文を英文に変えることが好きだった私は、ミンクのレットアウトがすぐ好きになりました。同じ素材を別の形に縫いかえるのは、英作文に似ていたからだと思います。文章の一行はミンクのカットの一本でした。3mm幅があれば縫い合わせることのできる毛皮は、当時も今もそうですが、原則として小さなピースも捨てません。活用できるからです。こんなところもコトバ(単語)と似ていますね。
英作文には日本語をよく読んで、グーッと水中に深く潜み込み、一気に水面に向かって上昇して、呼吸が解放されるような快感があります。
当時常時私の使っていた辞書は
大英和、大和英、活用辞典、英語学辞典(以上研究社)
ワイルド:ユニヴァーサル
キャッセル、スキート:語源辞典
小川芳雄:語源活用辞典
田中菊雄:英和小辞典、中辞典(以上岩波)
ホンビー:英英(開拓社)
ドーデン:図解辞典
などでした。コトバの楽しさを教えてくれた恩師には思い出とともに今も感謝しています。
3月になると、カラオケで「あおげば尊し」を歌いたくなります。
最近は・・身を立て名をあげ・・などの文面が好ましくない、と判断されるようです。確かに「立身出世」という言葉を連想させますね。
Comment
始めまして。小川芳男先生の「巷の英語」を読み返して居て、同じく神田外語(高田馬場)で習った川本茂雄先生の授業、更に代々木ゼミナールでの古家鴻三先生のことを思い出し、ネット上を散歩して居て、斯のページに行き当たりました。私は浪人して、未だ出来立ての代々木ゼミに入り、古家先生や可児先生に出会い、すっかり英語が好きに為りました。当時は代々木学院の方は大勢の生徒を抱えて居ましたが、代々木ゼミの方は教室に生徒4、5人というクラスもあり、小人数が故に「親身の指導」そのものでした。古家先生の授業は、ガリ版刷りの問題を配り、自宅で回答を書いたものを次回提出し、其れが真っ赤に添削され返却されました。其れだけでなく、授業では一人一人の誤った回答に就いて懇切丁寧に説明して呉れたものです。
大学生だった息子さんがフェンシングの練習中、切っ先が胸に刺さり無く成られ、それ以降彼の学生鞄を抱えて授業に出て来られました。先生とは長年年賀状の交換をして来ましたが、何時も俳句が書かれて居ました。死後、奥様直子さんが先生の全句集を纏められ、送って下さいました。その中から一句
ーーー昴星我が旅を趁いアランまで 榧夫
目黒 さま
メールチェックが遅れ、大変失礼いたしました。
恩師の息子さん(穂高)のことは聞いておりましたが、かわいそうで聞くことができませんでした。
私はS22年(1947)生まれですので、貴方のほうが年上かもしれませんね。
穂高さんのカバンを持たれていたとは、
直子夫人(藤山康子)は3年前の6月25日、97歳で亡くなりました。
恩師は79歳、6月7日に亡くなり、その後、私が奥様のお世話をいたしました。
お二人にはお子様がいらっしゃらなかったので、私が疑似息子です。
私は、恩師のおかげで、英語を通してコトバが好きになり、一生そのお陰で、楽しく生きております。
その恩返しの意味で、奥様のお世話をしたと思います。
新宿セミナーの夜の授業は、社会人になってもモグリで通いましたので、18年くらい先生の授業を受けました。
英作文の授業で、本当に楽しかった。課題の日本文を、8人くらい板書して、先生がすべて添削してくれました。
いろいろな表現があり、最後に参考文を彼が書いてくれました。
「一語でもいいから書きなさい」と勧めておりました。この授業で、私は日本文への理解が深くなりました。
池袋の英進予備校で、先生から英語の語源を習い、コトバが好きになりました。
お会いできることが可能でしたら、お目にかかりたいと思います。
佐野 亜蘭
2020.1.3
佐野亜蘭 様
メールがrejectされたそうで、申し訳ないことをしました。新しいアドレスをお知らせします。
私は先生が「単独登攀者」を出された年に生まれたことに成って居ます。昨年で80歳。代々木
ゼミに通って居た頃は33年、34年でしたか・・・・。佐野さんが直子夫人を晩年までお世話
されて居たと伺い、先生も夫人と共に天国で有難いと話し合って居られるのではないかと思いま
す。中々出来ることではありません。そうしたお人柄が、お仕事の成功を齎して居ると感じます。
英語を勉強することで日本語への理解が深まったとのお説には同感です。物忘れが激しくなる今、
頭の体操でブログを投稿して居ますが、日本文の推敲にも英語学習が役に立って居るのかも知れ
ません。私は定年後田舎暮らしがしたくて、現在山梨の小淵沢で百姓仕事の真似事をして暮らし
て居ります。八ヶ岳方面に来られる機会が有りましたら、ぜひお声を掛けて下さい。
英語活用辞典は孫に譲りました。
目黒様
メール感謝いたします。
私は山梨の最南端の万沢の生まれです。
小学校6年までおりました。その後静岡市、東京練馬と住み、今は新宿です。
夏になりましたら小淵沢に行ってみたいです。
おばあ様の俳句では
晩夏あかし 浮浪児の乳房 すでに尖り (直子)
夏の終わり、いつも見ていた少女が、、、、という句が好きです。
おばあ様はお姉さんと電通の斜め前で、ユーカスという喫茶店をしておりました。
そこに俳句の方々(橋本夢道、西東三鬼など)が集まっていて、その中にカヤオもいたのです。
貴方が予備校に通っていらっしゃた頃の先生のお話を聞きたいと思っております。
お会いできる日を楽しみにしております。お元気にお過ごしください。
さの あらん
2020-106